The Rules For The idlers Games 2020
   アイドラーズクラブとは

アイドラーズの発端

 自動車専門店のクラブや自動車クラブに参加をされている方、また、そのいずれにも属さない方を対象に、
個人として参加し、全員で企画していく団体がアイドラーズクラブです。
我々は、我々としてのみ存在し、我々の「サーキットイベント」は既存のレースヒエラルキーの外にいます。
 アイドラーとは、idler=なまけもの、暇人の意味。クルマ趣味が高じて家を追い出され犬小屋に住まう男の意味をその名に付けたイギリスのドッグハウスクラブのような気持ちがアイドラーズクラブ命名のヒントになりました。
 我々が行うのは「idlers Games」。「大人の少年の日」をクルマで競い楽しむのです。
そこで優先されるのは、クルマ趣味の視線と自己による責任感だと思います。

 N1からGTまで、公認レースの主催者/団体は、レース人口の底辺の拡大を言います。
僕たちのような存在を底辺であると位置づけています。
しかし、第1回日本グランプリ以来30年以上も経つというのに、いまだに底辺の拡大を必要としていることこそ問題なのではないだろうか。
その彼らが、様々なワンメイクレースやイベントを企画している。
このことは歓迎すべきことですが、僕たちのような「素人」が考えるものまで同様に思われては困ります。

 むしろ、僕たちでもできる程度の草レースを「公認」された団体が行い、また、僕たちのような存在へのある種の中傷を行うことの方が問題であり哀しいことではないでしょうか。
我々は、彼らのヒエラルキーの底辺を支えていくつもりはありません。むしろ、ヒエラルキーの外にいると思っています。

 僕たちをサポートするJAF公認オフィシャルがJAFに提訴され、その資格剥奪の危機に迫られたこともありました。
そうであるならば、なぜ、大いなる草レースを標榜するル・マン24時間レースに異議を申し立てないのでしょうか。
ニュルブルクリンク24時間レースに異を唱えないのでしょうか。この不徹底さは、まさしく自己の利権のためとしか思えません。

 僕たちは、僕たち自身のためのみに様々なイベントを企画します。
でも、その参加者が別の世界である既存のレース界へと向かう事態も起きています。
したがって、僕たちのイベントを妨害することは無意味であり、むしろ、彼らのいう底辺の拡大に逆行するのではないでしょうか。
 サーキット各社は、こうした2つの構造を見極め、僕たちにも充分な門戸を開いて欲しいと願います。

 

僕たちのイベント内容と考え方について

 僕たちの主題は、僕たち自身がエントラントであるという1点に集約されます。
日常の中のちょっと心の躍る日というのがイベントの趣旨なのです。
この思いから「大人の少年の日」「運動会」という大会コンセプトを経て「idlers Games」と名付けました。
ごく普通のクルマ趣味の人が日常的に想像できる範囲でエントリー料や車輌が設定されています。
僕たちは、僕たち自身が欲することを、まず提供しようと考えています。「大人の少年の日」「GAMES」のコンセプトはサービスです。

 

安全について

 公認レースの主催者は、素人は安全に気を配らないと評論します。
確かにそうしたイベントも見受けられます。
僕たちはスタッフ運営にレース経験の豊富なオフィシャルを依頼し、さらに、イベントの趣旨を徹底し、それでも理解しない方の参加は残念ながらお断りしています。現在ほとんどの方の理解は得られており「アイドラーズ・ルール」と言われ浸透してきました。
 また、いわゆる太田裁判を受け「主催者賠償保険」を設定し、参加者のみならず、メカニック、サポーター、観客、オフィシャルまでも含めた年間延べ5000人を対象に、前述の判例で示された個人に対する最大1億円の賠償を行うことができる体制を築いております。
 一部のマスコミの方が、素人で何か事故が起こった場合、サーキット運営団体にも責任があるというような発言をされていますが、こうした考え方そのものがモータースポーツを萎縮させてしまいます。
サーキットは、設備と空間を提供することがビジネスであり、コースの保全不備による事故でない限り責任はありません。例えば、遊園地で転んで足を折ったとしても、それは本人の問題なのですよね。
 僕たちは、このことについても徹底しています。
idlers Games に参加する一人ひとりの自主性が全てに優先するのです。
つまり、責任の所在は、本人ということであり、その個人を支える保険制度を確立しています。

 

みんながアイドラーズ

 1987年にアイドラーズの前身であるノーザンライツ・スポーツカークラブが発足。
スモールサーキットの運動会やツーリングを楽しんでいました。
それから5年後の1991年に筑波サーキットでのイベント開催を機にidlers clubがスタートしました。
世界初のミニ6時間耐久を1999年4月15日に開催。
2000年には、あいにくの天候ながら、約40台/200人のドライバーとその倍以上のチームスタッフによる 7時間耐久も大成功。
毎年1年づつ延長し、2000年にはツイリンクもてぎの協力を得て夜の12時間耐久を実現させました。
以来、スプリントGames と並び、耐久もまたアイドラーズの形容詞となってきました。
関西で行われるミニの耐久にはレギュレーションや運営方法を提供するなど全国的に刺激が広がっていきました。
 創立以来変わらないことは、僕たちは愛車やライバルや仲間と想い出を作っていくということ。
idlers Gamesの主役は僕たちエントラントです。
これからも我々一人一人の想い出を作ることができるイベントであり続けたいと思います。

 

2020.1.10 Release
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